りきゅーの技術メモ

SFC18。東京に魂を売った関西人。コンピュータサイエンス、ドローン、お茶、弓道、哲学とか。スケボーかスノボー始めたい。

【メモ書き】理想と現実の乖離について。

きっかけ

苫野 一徳さんの「はじめての哲学的思考」という連載の第二回『宗教とは何が違うの?』を読んでいて、ふと現実と理想の関係について頭の中が整理され、言語化できたのでメモメモ。
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メモ

以下がきっかけになった文。

 「ノアの方舟」に代表される、洪水神話もまた各地に存在する。エリアーデによれば、これは、実際の洪水の記録である以上に、世界の終わりと再生を象徴しているという。
 農業には、季節の移り変わりや水の循環なんかがとても大事だ。だから人びとは、この世界がいつかその“循環”をやめてしまうことを怖れていた。そこで彼らは、古くなった世界がいったん滅びて、また若返ってよみがえるという神話を考え出したんじゃないかということだ。

> 純粋に考えると自然環境が変わって循環をやめてしまうことはあるだろう、でもそこに神話を作り出すほどの不安を抱くのは、人間の認知機構が未来のことや世界の複雑性を全て捉えることが可能なほど優れてはいないという事実に反して、またはその結果として、「循環は終わらない。」のように世界を自分たちの都合の良いように解釈し、その解釈を疑う術がない(ほぼ現実と同化する)ことに由来するのではないか。

 つまり苦(肉体的ではない)や不安とは、頭の中に不自然に秩序だった(自分たちに都合のいい)世界・幻想・理想を創り出し、それに”現実味”を帯びさせていることに端を発するのではないか。人間の認知能力の限界として、現実と理想の境界線が曖昧になる。その結果、理想通りに行かないという状況になった時、または理想とは異なる姿の世界の可能性を発見した時、「現実のものではない。本当ではない。こうあるべきではない。」といった現実の打ち消しの思考法によって、現実の否定に走りはじめるのでないか。。。
そしてニーチェが指摘したように、現実の打ち消しの思考法の結果として、宗教や一部の思想が生まれるのではないかと考えた。